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2026.09.07

災害を経験した子どもから、同世代に伝えたいこと:2011年東日本大震災後に中高生が果たした役割

この記事と特に関連が深い子どもの権利 
・第12条:意見を表す権利


※注意:本記事には、災害や被災体験に関する内容が含まれています。こうした内容に接することでつらい気持ちになったり、体調が優れなくなったりする可能性がある方は、閲覧にご注意ください。 


2026年7(がつ)28日に発生した熊本地震では、被災したくの子どもたちが不安な気持ちになったり、いつもと違う生活を送ったりすることになりました。その一方で、「自分でも役に立ちたい」「恩返しができたら」という声も上がり、地域や周囲の人々を支える存在としての役割も改めて集まっています*。

過去の災害を振り返ると、子どもたちが自ら考え、行動し、ときには同世代や地域社会を支える役割を果たしてきたことは、決して珍しいことではありません。実は、多くの子どもたちが、まちや人を支えるため、自分の考えを発信し、「復興における主体者(一緒につくる人)」なのです。 

1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」の第12条では、「子どもは自分の意見を伝える権利を持っている」ことを定めています。たとえ被災した状況でも、その権利は変わりません。 

 

このシリーズでは、日本国内で起きた3つの災害[注]を経験した子どもたちが、どのような想いを持ち、どのような声を発信したり行動したりしたのか、それぞれの記録をまとめた冊子から紹介します。 

子どもの視点から見た災害経験を通じて、災害時の子どもの役割と可能性について一緒に考えてみましょう。 

 

[注] このシリーズでは、東日本大震災(2011年)、西日本豪雨(2018年)、能登半島地震(2024年)の3つの災害における子どもの声を連載していきます。 

2011年東日本大震災 

2011年3(がつ)11日、日本でこれまでに記録された中で最も大きい、マグニチュード9.0の地震が起きました。マグニチュード9レベルの地震は世界でもめったに起こらず、100年に数回あるかどうかといわれる大きさの地震です。 

東北地方(とくに宮城県・岩手県・福島県)を中心に強い揺れが発生し、その後、とても高い津波がまちをのみこみました。多くの家や建物が壊れたり流されたりし、約2万人が亡くなったり行方不明になりました。また、福島では原子力発電所の事故も起こり、放射線の影響で、自分の家やまちから何年も離れて暮らさざるをえない人もいました。 

この大震災では、多くの中高生たちも影響を受けました。 

被災した中高生が、当時どのように感じ、どのような行動を起こしたのかを紹介します。 

岩手県山田町の高校生の兄弟 

「避難所に高校生っていうのが、自分達だけで。自分達が一番(した)だったんです」 

 

YさんとSさんは、岩手県山田町に住む高校3年生で双子のきょうだいでした。体は小さいけれど、相撲に打ち込んでいる二人(ふたり)はとても体力があり、Sさんは国体(国民体育大会)に出場したこともあるほどでした。 

震災のあと、二人(ふたり)は地域の大人たちと一緒に、海に浮かんだがれきを片づけたり、壊れた養殖いかだを回収したりしました。 そして、地域の人たちが漁業をもう一度始めるための準備にも関わりました。 

その中でも特に大変だったのが、「土俵(漁業で使う重し)づくり」です。 

地域では人が減り、海で働ける人は16人ほどしかおらず、しかもその多くが年配の人たちでした。そんな中で、YさんとSさんも力仕事を担いました。 

 

「震災があって学校もずっと休みだったんです。それで、避難所にいても自分達のやる仕事というか、役に立っているようなことがあまり無かったっていうのが一番大きいんじゃないかなと思います。その時に、こういう力仕事が一番自分達にあっているし、自分が力になっていける一番のことなんじゃないかなって、そういう風に思いました」 

宮城県東松島市の中学3年生 

震災発生直後から、中学3年生のNさんの学校は避難所になりました。 

掃除や物資運びを手伝う中で、Nさんはこんな気持ちを抱えていました。 

 

「正直言ってけっこうつらくて。周りの目とかちょっと気になって、ちっちゃい子とかは遊んでるんですけど中学生は遊べないな、っていうところも。でもみんなのために動けるのは自分達ぐらいしかいないなと、ちょっと大変ながら乗り越えてって感じですかね」 

 

震災が発生した3(がつ)の終わりごろ、Nさんは市役所に貼ってあるお知らせを見つけ、学校が4(がつ)11日から始まることを知りました。学校からの連絡が届かない中、Nさんは携帯のメールで友だちに学校がはじまることを伝えました。 

自分が知っていることを「知らないかもしれない友だち」にも伝えることにより、学校が始まることを知らなかった人にも情報を届けることができました。 

 

「中学生っておとなでもない、子どもでもないじゃないですか。なので、おとなじゃできなくて、子どもでもできないことをやるみたいな。おとなでは気づかない点っていうのもあるし…中学生だからできることをやれたかなって思います」 

宮城県気仙沼市の高校2年生 

高校2年生のSさんが、外で部活動の準備運動をしているときに地震が起きました。 

 

「うちの高校は、県立高校で避難所指定をされていませんでした。そのため備蓄も、避難マニュアルも全然ありません。しかし、人がどんどん来るし、雪も降っているから、とにかく体育館にいれるしかないとなりました。避難所指定をされていないから先生たちは対応できない、卒業式も終わっていたのでもう高3生もいない。だから高2生がなにかやるしかないとなって、避難所の運営が始まりました」 

 

震災発生直後から、Sさんと(ほか)の学生たちは避難者名簿を作成したり、おにぎりをつくったり、そのために必要なラップを取りに行くなど、みんなで考えながら動きました。 

避難所の運営を大人に交代したのは震災発生後、3日目くらいでした。 

振り返ってみると、自分も被災している中で避難所を運営するつらさや、大人に対しての怒りもありました。 

 

「中高生は、一番傷つきやすい年齢だから、同じ経験をしてほしくありません。(いま)自分達にある悲しい感情をまた繰り返してほしくない。そのために記録を読むことで経験を追体験して、同じ経験をしないようによりよくしてほしい」 

次に来る災害に活かすために 

同じ子どもだからこそ、共感できることがあります。 

ある高校生は、こう話しています。 

「自分がどうやって動いたらいいか分からないっていう同世代の高校生に、ぼくたちの記録を読んでもらって、『自分達の世代にもこういうことができるんだ』って知ってもらって行動にうつすきっかけに」なったらと語ってくれました。 


この記録には、「すごい大人たち」の話ではなく、同じ中高生のリアルな等身大の行動が残されています。 

これらの声を知ること、学ぶことが、 未来の誰か、また自分自身を守ることにつながっていきます。 

 

※紹介した声は発行された冊子の原文から一部を抜粋し、引用文書の表記を使用しております。 



2011年東日本大震災後に中高生が果たした役割》 には、震災後、「中高生が誰かのためにした行動」、あるいは大人が「中高生のはたらきを見た」というテーマで寄せられたエピソード、合計205通を掲載しています。 

本記事で紹介した3つの話も、この記録集から抜粋したものです。ぜひ読んでみてください。 

考えてみよう 

Yさん、Sさん、Nさんは、自分たちにできることを見つけて行動しました。 
これらの行動を起こしたことについてどのように感じましたか? 
防災に関する情報を調べたり、(いま)できる防災のための活動を考えたりしてみよう。 

 

国内事業部 緊急・防災チーム

*日テレ:「自分でも役に立ちたい」「恩返しができたら」夏休みに地震…“日常”失った高校生柔道部員 ボランティアを続ける理由【熊本地震から1か月】より 

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