2019年、板橋区の小学生6人が、子どもの権利条約の第12条(自分に関わるすべてのことについて意見を聴かれ、その意思を大切にされる権利があります)や、第31条(子どもには、休む権利、自由な時間を持つ権利、遊ぶ権利があり、文化的・芸術的な活動に十分に参加する権利があります)を守るためのアクションを起こしました。
その結果、遊び場の利用時間が延長されるといった変化が起きました。
ぜひ下記の記事をお読みください。
https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/life/35950/(外部サイト)
私たちは、このサイトであなたが子どもの権利を知り、考えるきっかけにしたり、新しい行動を踏み出すためのヒントを得てほしいと思っています。
まずは、このサイトに掲載されている子どもの権利条約の条文を読んだり、学校やあなたの居場所で子どもの権利に関するアクティビティに取り組んだりしてみてください。
「子どもの権利が守られていない…」と感じた場合、保護者・養育者や先生などの周りのおとなたち、また国や自治体の支援サービス、私たちセーブ・ザ・チルドレンのような団体が、あなたの問題解決のサポートをすることもできます。
ぜひこのサイトを通して、みなさんが持つ「子どもの権利」について理解を深めてください。
子どもの権利ってなに?
子どもの権利について、知るってどういうこと?
あなた自身や、あなたの意見を大切にすること、大切にされること
あなたがやりたいと思うこと、こうしたいと思うこと、あなたにとって最も良いことを支えること
あなたやあなたのまわりの子どもたちが、差別されず、安心して生きること
あなたやあなたの命が大切にされ、最も良い形で成長や発達をすること
子どもの権利を守るため、実際に子どもたち自身が行動を起こし、変化が起きた事例の紹介
小学生6人が自分たちの遊び場を守るための意見書(陳情書)を板橋区に提出
「震災の被害を受けたまちのために何かしたい!」という子どもたちの声が形になる
対話を大切にしながら校則を変える 高校生たちのとりくみ
「多くの人に知ってほしい!」 中学生の活動により生徒手帳に子どもの権利条約が載る
子どもの権利、こう思ってない?
子どもの権利条約の歴史
子どもの権利ってなに?
今を生きるあなたにとっての「子どもの権利」とは
突然ですが、あなたに質問です。
今のあなたの生活は楽しく、充実していますか?
あなたが、「楽しい!」、「充実している!」と感じられていたらとてもうれしいです。
一方で、もしかしたら、学校や家での時間が少し「苦しい」、「しんどいな」と感じたり、「もっとこうだったらいいのに」と思っている人がいるかもしれません。
「まわりの人たちから、自分自身や自分の意見が大切にされていない」と感じている人もいるかもしれません。
勉強や個人的なことで悩んでいたり、人からの評価やお金などの心配をせずに、もっと自由に自分のことを決められるといいな・・・と考えている人もいるかもしれません。
「子どもの権利」は、あなたが誰であっても、どこに生まれ育っていても、自分らしく、安心して豊かに、自分を大切な存在として、今を生きていくためにある権利です。
もし、今、あなたが「しんどいな」、「おかしくない?」、「もっとこうだったらいいのに」と感じていることがあれば、このウェブサイトを通じて「子どもの権利」を知り、そういう気持ちを減らしたり、自分らしく安心して生きるためのヒントを得てほしいと思います。
子どもは生まれたときから一人の人間
あなたは、「子ども」と「おとな」は、どのような点が、または何が違うと思いますか?
いろいろな考えがあると思いますが、子どもはおとなと比べ、心や身体(からだ)の成長や、発達の途中にあります。
生まれたばかりの赤ちゃんや年齢が低い子どもは、おとなに比べ、自分のやりたいことや考えをうまく言葉にすることができません。
また、身体(からだ)の小さな子どもはおとなに比べ、力が弱い場合が多いと思います。
このような理由で、子どもたちは、まわりの人々に守られる必要があります。
でも子どもたちはおとなから守られるだけの存在ではありません。生まれたときから一人の人間です。
一人の人間である子どもたちには、人としての権利、つまり「人権」があり、子どもの考えや意見は、おとなの考えや意見と同じように大切なものです。
もし、今あなたが、自分たちに関わることを、おとなが何でも決めてしまう、と感じているのなら、それは「子どもの権利」が守られていない状態だと言えるかもしれません。
「子どもの権利条約」は、一人ひとりの子どもにある権利についてまとめたものです。
自分にある権利について知り、それらの権利が守られているか考えてみてください。
あなたや友だちが、自分らしく、安心して豊かに、自分を大切な存在とみとめ、今を生きていくために必要なこと
「子どもの権利」は、国と国との約束事として「条約」で定められています。
「子どもの権利を守ります」と約束した国は、子どもたちの権利を守る義務があり、そのための取り組みを進めたり、法律を作ったり、変えたりする必要があります。
それぞれの国で生きる、あなたや友だちが、自分らしく、安心して豊かに、自分を大切な存在とみとめ、今を生きていけるよう、「子どもの権利」では、次の4つのことが最も大切だとしています。
●人種や生まれ・皮膚の色・性別・言語・宗教・障害・貧富の差・考え方などによって差別されないこと
●国やおとなが、子ども(あなた)の立場に立ち、子ども(あなた)にとって最もよいことは何かを考えたり、大切にしたりすること
●命を大切にされ、子ども(あなた)にとって最も良い形で成長や発達をすること
●自分に関わるすべてのことについて意見をきかれ、大切にされること
国や自治体などの地域社会、また学校や保護者は、これらの大切なことが守られるよう取り組みを進める必要があります。あなたは、今の自分の生活で、これらが十分に守られていると感じますか。
例えば、自分が「こうしたい!」と思うことについて、まわりのおとなたちから意見を聴かれたり、大切にされたりしていると感じていますか。
または、自分自身の考えや個性を大切にされ、あらゆる差別から守られていると感じていますか。
ぜひあなた自身の毎日の生活や気持ちについて、考える時間を持ってみてください。
子どもの権利について知るってどういうこと?
あなたが「子どもの権利」を知っているときと、知らなかったときではどのように生活が変わるのでしょうか?
子どもの権利について知ることは、次のようなことにつながります。
・あなた自身や、あなたの意見を大切にすること、大切にされること
・あなたがやりたいと思うこと、こうしたいと思うこと、あなたにとって最も良いことを支えること
・あなたやあなたのまわりの子どもたちが、差別されず、安心して生きること
・あなたやあなたの命が大切にされ、最も良い形で成長や発達をすること
ピンとこない… という場合は、ここに書かれているストーリーを例として読んでみてください。
ここに書かれているような、気持ちや状況の変化が起きるかもしれません。
ストーリー① あなた自身や、あなたの意見を大切にすること、大切にされること
あなたは小学生のころからあるスポーツを続けていて、今はそのスポーツがさかんな学校で部活に入っています。
早朝も放課後も練習、毎週末試合があって休む時間がありません。そのため、疲れで怪我をしやすくなったり、気分が落ち込んだり、授業に集中できなくなってしまいました。
でもあなたは、「休む時間も欲しいなんて言ったら、さぼっていると思われるかな」と考えて何も言い出せずにいました…。
あるとき、あなたは、子どもの権利に「休む権利」や「自分に関わるすべてのことについて意見を聴かれ、その意思を大切にされる権利」があることを知りました。これらの権利について知り、あなたは少しほっとしました。
そして「休む権利は自分にも、部活の仲間たちにもある。どうしたらより良い形で部活動ができるか、仲間や先生と話し合ってみようかな。自分たちの意見や気持ちも大切にしてほしい!」と考えるようになりました。
ストーリー② あなたがやりたいと思うこと、こうしたいと思うこと、あなたにとって最も良いことを支えること
あなたは学ぶことが好きで、毎日の学習や、テスト勉強にも力を入れています。
でも、テストの成績で自分と他の人を比較したりすることには少し息苦しさを感じており、もう少し趣味の時間なども大切にしながら自分のペースで毎日を過ごしたいな…と思うことがありました。
自分と同じように感じている人はいるのだろうか、そういう人はどうしているのだろう…と思い、インターネットなどで調べてみると、少人数制の学校や、自宅でのオンライン学習を取り入れた学校、音楽や美術に力を入れたさまざまなプログラムを実施している学校などがあることを知りました。
あるとき、あなたは授業を通し、子どもたちには「教育によって、自分の身体と心を成長させる権利」があることを知りました。「学校に通うことは子どもの『義務』だから苦しくてもこのまま学校に通わなくちゃ!」と思っていたあなたは、「学校に通うことは義務ではなく権利であること」、また「学校に通う以外にも教育を受けたり、勉強をしたりすることができること」に気づき、少し肩の力が抜けたような感じがしました。
「自分は、自分にあった方法で勉強したい」と考えたあなたは、話しやすい兄弟や親にまず相談してみることにしました。
ストーリー③ あなたやあなたのまわりの子どもたちが、差別されず、安心して生きること
あなたのクラスに、最近外国から移住してきたクラスメイト(彼)がいます。
彼は、まだ日本語がうまく話せないため、他のクラスメイトはどう接したらよいかわからず、少しよそよそしい雰囲気です。
でも彼は暴力を振るわれたり、ひどい悪口を言われたりしているわけではないので、差別やいじめを受けているという考えはあなたにありませんでした。
あるとき、あなたは彼と帰り道が一緒になりました。
そのとき彼は、今、学校の雰囲気になじめず、苦しい思いをしていることを話してくれました。
自分たちが差別やいじめをしているつもりはなかったのですが、「子どもの権利」には「差別されない権利」があることを以前学んでいたあなたは、彼の差別されない権利が奪われているのではないかと考えました。
そして、彼が苦しい思いをするのはおかしい、みんなが安心して生活できることが大事なはずだと改めて感じました。
あなたは、これからクラス内の自分たちの会話に彼がもっと参加できるよう意識してみよう、と思いました。
また、クラスとして何かできないか、周りの友達にも聞いてみようと思いました。
ストーリー④ あなたやあなたの命が大切にされ、最も良い形で成長や発達をすること
あなたは、自然豊かな山間部に住んでいます。生まれたときからその町に住んでいて、これまで川や山で遊ぶなど、自然と触れ合うさまざまな経験をしてきました。しかし、この数年、夏になると気温がとても高くなり、毎年、最高気温が更新されています。気温の上昇に伴い、記録的な集中豪雨が続くこともあり、土砂崩れなどが発生しています。先日も災害警報が発令され、深夜から朝にかけ、「これからどうなってしまうんだろう…」と、不安な時間を過ごしました。
祖父母や親たちは、時々、「自分たちが子どものころはこんなに暑くなかった」、「外は暑すぎるから家の中で過ごしなさい」と言います。そんなときあなたは、「私が生まれたときから夏はずっと暑い…。私たちのせいで気温が上がったわけではないのに、どうして私たちが我慢しないといけないのだろう…」と思います。
あなたは、今、学校で持続可能な開発目標(SDGs)や環境問題について学んでいます。また、人権学習で「子どもの権利」について学び、命を大切にされる権利や、最も良い形で成長や発達をする権利について学びました。
環境問題や気候変動が人の命や健康に与える影響を、政治家を含むおとなや自分たちと同じ世代の人に伝え、もっと環境問題に積極的に取り組んでもらいたい!と思うようになりました。
子どもの権利を守るため、実際に子どもたち自身が行動を起こし、変化が起きた事例の紹介
小学生6人が自分たちの遊び場を守るための意見書(陳情書)を板橋区に提出
「震災の被害を受けたまちのために何かしたい!」という子どもたちの声が形になる
「石巻市子どもセンターらいつ」は、「震災しんさいの被害を受けたまちのために何かしたい!」という中高生が意見を出し合い、考え、2013年に設立された子どもたちや地域の人々のための居場所です。子どもの権利条約の第3条(国やおとなから、その子どもにとって最も良いことを優先して考えてもらう権利があります)や、第12条(自分に関わるすべてのことについて意見を聴かれ、その意思を大切にされる権利があります)が守られた事例として、「らいつ」のウェブサイトや、活動内容をご紹介します。
https://ishinomaki-cc.jp/(外部サイト)
https://www.savechildren.or.jp/scjcms/sc_activity.php?c=30(セーブ・ザ・チルドレンブログ記事)
対話を大切にしながら校則を変える 高校生たちのとりくみ
栃木県のある高校では約90個もの校則があり、「厳しすぎる」として地元でも有名でした。生徒たちは校則を変える案を職員会議で出しましたが、「全校生徒を巻き込めていないのではないか」と言われ、当初提案は認められませんでした。そこで生徒たちは、「時間がかかっても多くの人が納得できることや対話が大切」と考え、全校生徒アンケートや生徒総会での承認、教員や保護者との話し合いなどを取り入れました。子どもの権利条約の第15条(市民として社会に参加するために、グループを作り、集まる権利があります)を形にするような取り組みです。結果はぜひ下記の記事でお読みください。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/223921(外部サイト)
「多くの人に知ってほしい!」 中学生の活動により生徒手帳に子どもの権利条約が載る
埼玉県さいたま市の中学生3名が「条約を自分たちの学校の生徒手帳に書いてほしい」と市の教育委員会に求めました。「自分の権利を知ること」も、子どもの権利として第42条(おとなだけでなく子どもも、「子どもの権利条約」を知る権利があります)にふくまれています。学校でも各学年にプレゼンするなどした結果、2024年からの生徒手帳に子どもの権利条約が掲載されました。3人は、「私たちの意見で社会を変えることができると強く感じた」、「子どもでもアクションを起こせると知ってほしい」と話します。
https://www.saitama-np.co.jp/articles/18953/postDetail(外部サイト)
子どもの権利、こう思ってない?
子どもの権利は、「●●したら」もらえるもの?
子どもの権利は、「勉強したら」とか、「お金があるから」といった、「○○したら」や「〇〇があるから」という条件と交換に手に入れるものではありません。
どんな環境に生まれても、すべての子どもたちには、生まれたときから子どもの権利があります。
差別されないこと、国や大人が子ども(あなた)にとって最もよいことを考えたり、大切にしたりすること、命を大切にされること、意見を聴かれたり、意見を言ったりすること、これらはすべての子どもにとっての権利です。
「大人になったら」、または「○○したら」というのではなく、あなたがどこにいても、どんな状況でも、すべての子どもたちは、これらの権利が守られるよう求めることができます。
そして、これらのことを誰かができないようにしてはいけません。
子どもの権利は誰が守るの? どうしたら子どもの権利が実現されるの?
子どもの権利は、「やさしさ」や「思いやり」といった個人のものさしによって実現されるものではなく、どんな環境で生きる子どもであっても、実現されるものでなければなりません。
そのためには、「子どもの権利条約を守ります」と宣言した各国の政府が役割を果たすことがとても重要です。
また、地域社会や学校、それぞれの家庭やさまざまな機関や施設、そしてあなたを含む子どもたち自身も重要な役割を果たします。
下の図を見てみてください。
子どもの権利を実現していくための、重要な登場人物です。
国や各地域の自治体の人々には、子どもの権利条約を守り、実現していく義務があります。
子どもの権利が守られる社会のために、国や自治体が学校や医療サービスなど、子どもたちを守るための仕組みや制度を整えていくことが必要です。
2023年4月に発足した国の機関「こども家庭庁」も、国の仕組みや制度をつくるために重要な役割を果たします。
https://www.cfa.go.jp/top/(外部サイト)
保護者・養育者も、子どもの権利について知り、毎日の生活の中で子どもたちの考えや意見を聴いたり、子どもたちの成長をサポートしていく必要があります。
そして、子どもであるあなた自身が、権利について知り、意見を伝えたり、問題解決のための力を身につけていったりすることも大切です。「権利について知らない」、「権利が守られていないように思うけど、どうしたらいいかわからない」という場合は、みなさんが、意見を伝えたり、問題解決をしたりできるよう、私たちのような団体もサポートします!
国や自治体、保護者・養育者、そしてあなた自身によって、子どもの権利が守られ、あなたや友だちが、自分らしく、安心して豊かに、自分を大切な存在とみとめ、今を生きていくことができるのです。
「子どもの権利」を学ぶとわがままになる?
「子どもの権利」を知ってもらうための活動を行っていると、「子どもに権利を教えると、子どもがわがままにならないか」と言われることがあります。
あなたが権利を知り、差別されないことや、命を大切にされること、意見を聴かれたり、意見を言ったりできるよう求めることは、自分の権利を守ることであり、わがままなことではありません。
また、自分がこうしたい!と思うことを大切にすること、自分らしく生きていくことも、子どもの権利条約で保障されています。
大切なことは、自分だけに権利があるのではなく、「すべての子ども」に権利があり、おとなたちにも権利があるということを知ることです。
もし、あなたが自分の権利が大切にされていると感じられたら、自分とは異なる人々の権利も大切だと思えるようになるのではないでしょうか。
子どもの権利を学ぶことは、自分、そして自分以外の人たちの視点や考えを大切にすることにつながります。
子どもの権利条約の歴史
人としての権利、「人権」ってなんだろう?
人権とは、人に生まれながらにしてある「人間としての権利」のことです。
権利は英語でRights(ライツ)といいます。権利の語源のライツという言葉は、「あたりまえのこと」という意味があります。「人間としての権利(人権)」は、性別・人種・民族・皮膚の色・言語・生まれ・階級や宗教・政治的な信条(考え方)などに関係なく、すべての人にあたりまえに、あるものです。今では当然のように聞こえるかもしれませんが、かつては、君主制(国王による支配)や身分制度などにより、特定の人々だけが権力を持ち、それ以外の人々が自由に発言をしたり、社会の活動に参加したりすることができない状況が続いていました。
これに対し、1789年、フランスで市民革命と共に「フランス人権宣言」が採択されました。支配的な身分制度から解放され、個人を主体とする「人」の権利(人権)という考え方が生まれたのです。
このような歴史的な出来事があるものの、その後も一部の人だけの権利が守られる状況は続きます。この状況を大きく変えたのが、第一次世界大戦・第二次世界大戦の後、1948年に国連で採択された「世界人権宣言」です。
世界各地で起きた戦争により、非常に多くの命が奪われました。独裁的な政治や人々の命を軽視してきたことが、このような悲劇を生んだことを当時の世界各国の代表者が認め、国境を越え、すべての国がすべての人の「人間としての権利」を共通の基準として守る努力をし、平和な世界を築いていくことを「世界人権宣言」で約束したのです。
「世界人権宣言」の採択から、約80年が経った今、みなさんは「すべての人の権利」が守られていると感じますか?
残念ながら、人権に関する教育は今も十分ではありません。また、ある国の中で行われていることについて他の国が意見をしにくいという状況も続いています。多くの戦争や紛争が起き、人種や性別による差別も続いています。
「世界人権宣言」で示されたことを実現していくためには、今を生きる私たちが人権を守るためにできることを考え、取り組みを進める必要があります。
子どもの権利条約の歴史① 条約ができる前
人としての権利、「人権」ってなんだろう?の項目で、「人権」という考えが生まれた背景について説明しました。
ここでは、子どもは一人の人間であり、子どもたちにもおとなと同じような権利があると考えられるようになるまでの歴史について説明します。
世界中で長い間、ある特定の階級・身分の人々以外のおとなたちに人としての権利(人権)が認められていなかったように、子どもたちには権利があるとされていませんでした。
今から300年~400年ぐらい前の17世紀ごろまで、おとなを基準に考え、子どもは「小さなおとな」と考えられていました。
しかし、哲学者ルソーは、子ども固有の考え方、感じ方を大事にすること、子どもは小さなおとなではなく、多くの可能性を秘めた成長過程にある存在であることを主張しました。
この子どもを一人の人間とする考え方は、子どもにも人間としての権利があること、言い換えると「権利の主体」だと考える出発点となりました。
しかし、その後も18世紀から19世紀前半の産業革命時代を通し、身体の小さな子どもたちは、おとなの手が届かない機械のすきまや炭鉱のせまい坑道を行き来するのに適しているとされ、多くの子どもたちが身体に害をおよぼす仕事をさせられました。当時は、7歳から8歳の子どもたちも非常に安い給料で、織物工場などで大勢働いていました。
このような状況の中、イギリスで、炭鉱や工場で働く子どもたちが国に過酷な労働について証言したことが、児童労働を禁止する法律の制定を後押しし、子どもの健康や生活を守る「子どもの福祉」という考え方がヨーロッパを中心に少しずつ発展しはじめました。
子どもの権利条約の歴史② 条約の土台となる動き
産業革命を通してさまざまな技術が発展し世界各国の行き来が活発になるなか、ヨーロッパ内で同盟国同士の対立が激しくなり、1914年、第一次世界大戦が始まります。1918年まで続いたこの戦争には、25ヶ国が参加し、世界全体を巻き込んだかつてない規模の戦争となりました。
この戦争では、おとなだけではなく、多くの子どもたちが命を失いました。
この頃、イギリスでエグランタイン・ジェブという女性が子どもたちの貧困問題に関する調査を行っていました。ジェブは、戦争により子どもたちの食べ物がなくなり、病気になったりけがを負ったり、家族と離ればなれになる光景を目の当たりにし、自分に何ができるのかを考え始めました。
第一次世界大戦での被害は非常に大きく、ヨーロッパでは、約600万人の子どもたちが親を失い、孤児となりました。このような子どもたちを救うため、ジェブは子どもを支援するための基金「セーブ・ザ・チルドレン基金」を設立しました。人々に呼びかけて集められたお金を使い、ジェブは敵味方の関係なく、子どもたちへの食料配布を行いました。
これらの活動を通し、1922年~1923年にかけ、ジェブは多くの人々の意見を取り入れながら「子どもの権利宣言」の草案を作ります。翌年、その文章が元となった「子どもの権利に関するジュネーブ宣言」が、当時の国際連盟で採択されました。
この「子どもの権利に関するジュネーブ宣言」では、子どもたちにとって最善なものである平和ではなく、最悪のものである戦争を子どもたちに与えてしまったという反省、また、食べ物や医療など成長に欠かせないものを子どもは与えられる権利があるといった考え方から、「人類は、子どもに対して最善のものを与える義務を負う」という言葉が宣言の前文に掲げられました。
また、5つの項目が子どもの権利として示され、「子どもは特別な保護を受ける権利がある」という認識を広め、子どもの権利の保障を国際的に築いていくきっかけとなります。
しかし、このような動きにも関わらず、1939年、世界は第二次世界大戦という新たな戦争を始めてしまいます。
ジェブについてもっと知りたい人はこちらを読んでみよう
【子どもたちのために生きた人生 エグランタイン・ジェブ物語】
https://www.savechildren.or.jp/news/publications/download/jebb.pdf
子どもの権利条約の歴史③ 条約ができるまで
1939年に始まった第二次世界大戦により再び子どもを含む多くの人々が世界中で犠牲となりました。
当時、小児科医として戦争で犠牲になった孤児のための活動を行い、のちに、孤児院の院長、教育者、そして作家としても活躍したユダヤ系ポーランド人のヤヌシュ・コルチャックという男性がいました。コルチャックは、子どもたちを一人の人間として尊重することを訴え、「子どもは今を生きているのであって、将来を生きるのではない」、「子どもはだんだん人間になるのではなく、(生まれながらに)すでに人間である」など、重要なメッセージを数多く残しました。
しかし、ユダヤ人に対する迫害の犠牲となり、1942年、孤児院の子どもたちと共に殺されてしまいます。
1945年に第二次世界大戦が終わり、二度の世界的な大戦への反省から、国連では1948年に「世界人権宣言」が採択されます。その後、1959年には、社会的に弱いとされる子どもたちを一人の人間としてとらえる「子どもの権利宣言」が国連で採択され、10の項目が子どもたちの権利として示されました。
1924年頃、エグランタイン・ジェブや当時の人々が推進した「ジュネーブ宣言」では、植民地を含まず、ヨーロッパの子どもの一時的な救済と保護をめざすことが宣言として示されていました。
しかし、1959年の「子どもの権利宣言」が採択されたときには、ヨーロッパだけではなく、世界中のすべての子どもへのいつまでも変わることのない保護と福祉を権利として守ることが表明されました。
さらに、コルチャックの祖国であるポーランド政府は、コルチャックの精神(考え方)を受け継ぎ、二度と戦争やホロコースト(大勢の人を迫害・虐殺すること)が行われないよう、国際的に子どもの権利を保障するための新たな条約の制定へと動き始めました。
そして1978年、ポーランド政府は18の条文案を示した「子どもの権利条約」の草案を提出します。
その後、約10年の議論を経て、1989年、ついに国連総会で54条の子どもの権利を定めた、今の「子どもの権利条約」が採択されました。第1条から第42条は子どもたちにある具体的な権利の内容、第43条から第54条は特に、国・国際機関・その他の組織や団体に対する約束ごとが示されています。
この条約の採択を通し、世界中の国々が子どもには権利があること、つまり子どもは権利の主体であることが示され、子どもたちを世界各国が協力して守るために努力することに合意しました。
なお、1989年以降も、社会環境の変化に伴い、いくつかの権利が子どもたちの権利として追加されています。
また、日本は、1994年に「子どもの権利条約」を国として守ることを約束(批准)しました。